北尾吉孝日記

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本ブログでは、「DNA鑑定で父親でないことが明らかな場合、法律上の父親と子どもの関係を取り消せるか」が争われた訴訟の上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)が先週木曜日に示した「取り消せない」という判断に関し、私が思うところを簡潔に申し上げたいと思います。
今回の「最高裁の判断は、生物学上の父子関係より、婚姻制度を基礎にした法的親子関係を重視したもの」ですが、之は一言で昔から日本で言われている「生みの親より育ての親…自分を生んでくれただけの実の親より、養育してくれた親のほうがありがたいということ」であります。
例えば、キリンなどは生まれて後「20分程度で立つことができるようになる」動物ですが、人間というのは長期間に亘って親の保護の下に育ち、少しずつ自立して行く稀な動物です。
従ってそういう意味で、親子の関係というのはある意味血縁の関係ではなく、親が長い年月を掛けてその子を育て守り続けてきたという事実の中に生じる関係でありますから、そのように考えれば原則的には、極めて妥当な判断が下されたと評価できるものではないでしょうか。
勿論「今回のケースでは、夫婦関係は破綻し、子どもはすでに実の父親と一緒に暮らしている」わけですから、個別具体的にはその「法的親子関係は血縁、生活事実、当事者の絆などを総合的に考慮した基準で解決されるべき」ものかもしれません。
しかしながら今回、一・二審で一度は吹き飛ばされた「嫡出推定…妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する民法の規定」がDNA鑑定での血縁否定で覆らないと最終的に結論付けられ、私としては「生みの親より育ての親という大原則が司法の世界でも後付けされたのかなぁ」と此のニュースを聞いて思った次第です。
そもそも「近年、DNA鑑定の費用が安価になり、一般の人が利用しやすくなっている」にあっても、実際自身のルーツを辿りその鑑定結果を基にああだこうだと言うことに、一体何の意味があるのか私は非常に懐疑的です。
少し本題から逸れる話ですが、バラク・オバマは「白人とケニア人とのハーフで、純粋な黒人奴隷の子孫ではない」とか、ミッシェル・オバマは「黒人奴隷の末裔で、家系は少なくとも南北戦争以前のアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人にまでさかのぼることができる」といった具合に、DNA鑑定で自身のルーツが辿れるからと言ってそのルーツを知ることに、一体どれ程の意味があるのか私には良く分からないということです。もっとも、歴史をずっと遡り、日本民族のルーツとかどこの民族と近いかとかには、それなりの意味はあると思いますが。




 

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