北尾吉孝日記

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『致知』の2004年10月号に「人に三不祥(さんふしょう)あり」として、「幼にして長に事(つか)ふるを肯(がえ)んぜず。賤(せん)にして貴に事ふるを肯んぜず。不肖にして賢に事ふるを肯んぜず」という荀子の言葉が載っています。
即ち、荀子は「幼いのに年長の人につかえようとせず、卑賤なのに貴い人につかえようとせず、愚かなのに賢者につかえようとしない」とする「人に三つのよくないこと」を挙げているわけですが、之は処世術ということからすれば当然だと私は思います。
賤だから貴だからということで、その人の人格の優劣が規定されたり人間として偉いか否かが決められたりするものではありませんが、同時に此の社会にあって人間の一つの生き方として地位等が何もない賤な人が大言を吐いてみても誰も相手にはしてくれません。
その現実を直視するならば賤から脱する努力をすべきであって、そうした努力の中で人間関係を円滑に持って行く術等が当然必要とされます。そして自分の社会的地位が低いにも拘らず目上の人の言を聞かないという状況も矯正されて行くものです。
之を『中庸』にある言葉で換言すれば、「君子は其の位(くらい)に素して行い、其の外(ほか)を願わず…君子というものはその自らの立場・環境に応じて自らを尽くし、他の立場や環境を欲したりはしない」という考え方を指しています。
昔から東洋哲学の中で言われているように、分を超えることなく「其の位に素して」一生懸命やるべきをやることも重要であって、一切自分の位を飛び越えて行くことなく飽く迄も「位に素して行い」を為すのが良い生き方だということです。
「位に素して行い」を為さない人間に限って、自分の与えられた立場すら十分完遂できぬままに彼方此方に首を突っ込み、世を恨んでは悪いのはあれだこれだと言い回り、そしてそれでいて己がやるべきことをやっていないことが多いと思われます。
そうした「位に素して行い」を為すことが如何に大事かが分かっていない人の行く末は、昔であればあっという間に首を刎ねられ自分の人生が終わりになってしまっていますが、今そこまではないにしろ更にその人の状況が悪化するだけで碌なことにはなりません。
一生懸命「位に素して行い」、また位が変われば其の位に素して行う---驕ることなくまた卑屈になることなく、与えられた範囲内でそれを天命だと思い淡々とやって行くこと、之が「素行自得(そこうじとく)」の意味であります。




 

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