北尾吉孝日記

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 昨日東京国立博物館での国宝特別内覧会に参り、様々な国宝を1時間弱拝見してきました。東京での国宝展の開催は1960年、1990年、2000年に続いて今回が14年ぶりの4回目であり日本の国宝全体の11%強、約120件の国宝が出展されていると聞いており、こうした機会に巡り合ったということを私は非常に喜んでおります。
 今回拝見し、正に時空を超えて人の魂を揺さぶる最高度の美しさや品格の高さに圧倒されました。学生時代に読んだ和辻哲郎が彼の名著『古寺巡礼』の中で、薬師如来等を絶賛していたのを思い出しました。
 今回私が東京奉讃会の会長を仰せ付かっている、安倍文殊院から出展された善財童子立像(ぜんざいどうじりゅうぞう)はポスト阿修羅との呼び声も高く、国宝展にちなんだ様々な雑誌の表紙を飾っています。阿修羅立像はインドのヒンドゥーの太陽神を形取ったものとされ、奈良の興福寺にあります。
 聞くところによりますと、仏教彫刻の国宝は日本全体で128件、内奈良に70件、京都に37件あるそうです。安倍文殊院の国宝は、御本尊の騎獅文殊菩薩像および善財童子立像を含む脇侍4点が昨年国宝に指定され、此の128件の内もっとも新しいものであります。
 安倍文殊院国宝のうち維摩居士立像を除いては、運慶と並び鎌倉時代を代表する快慶の作であります。運慶の父親の康慶が両雄の師ですから、基本的には寄木造や玉眼といった様式は同じですし、作風も非常に近いように思います。
 尤も、両者の造った童子立像を比べると、やはり違いがかなりあるように思いました。善財童子の御顔は純で、あどけなく、穏やかであり、御姿も優美で一生懸命に悟りを得るため文殊菩薩の教導を受け、53人の善知識人を訪ねて旅をしていた様子がよく伝わってきます。他方、運慶作の童子は厳しい顔立ちで、姿も筋骨が逞しいようです。贔屓目かもしれませんが童子立像に関する限り、私には快慶がベターに思えました。
 さて、内覧会での話しはここで終え、安倍文殊院に関連して最後に次の2点を申し上げたいと思います。
 一つは、安倍仲麻呂に関する事柄です。仲麻呂は20歳の時に第8次遣唐使団の一員として唐に行き、大学で学んで見事科挙の試験に合格し、官吏として唐朝廷で要職に就きました。中国名は朝衡です。しかし37歳の時、望郷の念捨て難く当時の玄宗皇帝に日本への帰国を願い出ましたが、許されませんでした。その後、再度年老いた両親への孝養の為ということで帰国を願い出、今度は許されました。
 しかし運命とは皮肉なもので、船は安南に漂着し2年後に長安に戻って、最後は今のベトナムにあたる地域の知事のような職に任命され、72歳の生涯を唐で終えたのです。正に彼は日中友好の祖であり、国内外に大いに此の史実を情報発信すべきです。
 中国の要人が訪日し京都に行くと、必ず足を延ばして奈良の鑑真大和尚の唐招提寺や中国と縁の深い東大寺を訪ねます。
 これからは鑑真と並ぶ日中友好のシンボルとして、安倍仲麻呂の文殊院も訪ねるよう宣伝せねばならないと思います。文部科学省と中国政府とが音頭を取り、鑑真と安倍仲麻呂を日中友好の祖として、その偉業を偲ぶシンポジウム等それぞれの国の高官が出席し、やってみたらどうでしょうか。
 それからもう一つ、文殊院は祈祷寺であり知恵の菩薩であることから、私どもSBIグループの守護本尊とさせて頂いているということです。私と文殊院さんとの、正に仏縁でこのようなことになったのです。私どもの副社長を務め享年57歳で此の4月16日に逝去した井土太良君や彼の御両親も、私がこうした御縁を頂く随分前から当院を何回か訪れていたそうです。
 現在当院で永代供養をして頂いております。そうしたことで毎年グループの会社名を順次刻んだ灯籠を置いて頂くと共に、グループ幹部で当院を当年度から訪ねることに決めております。




 

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