北尾吉孝日記

『人類の歴史に因果を学ぶ』

2014年11月19日 16:30
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日本マクドナルドの創業者・藤田田さんは、「人間は歴史の流れから判断しなければいけない。要するに自分はどういう歴史の上を走っているか、物ごとを歴史的にとらえることが重要だ。仕事を計画した時もそのプランの背後に、日本の流れと、世界の流れというものを考えてひとつの結論を出して事業をやらなければいけない。波に乗ると波に押されて進んでいく。歴史の流れに逆らおうとするとひどい目に遭う」と述べておられます。
嘗て『歴史・哲学の重要性』(11年6月2日)というブログを書いたことがありますが、私としても現代的諸問題を考察する上で歴史が如何に重要であるかを主張し続けており、直感力や見識といったものを涵養するにはやはり歴史に学び、それを踏まえた上で時局や時代を認識し自ら評価・解釈して行くことが必要なのだと思います。
歴史はずっと流れ同時点には二度と返って来ないというのはある意味事実ですが、物事を色々考察してみると歴史の見方として、螺旋階段上にその進み方を見出し得るのではないかと考えます。
即ち、飛脚が郵便に、競り市がネットオークションに、幌馬車が電車等に発展して行ったという端的な例が示す通り、横から見た時に上に向かってちゃんと進歩して行っているという反面、昔から人間が欲していた役割・サービスが動力化・ネット化されたりするだけで、上から見れば何ら動いていないような世界がそこにあります。だから歴史を学ぶ必要があるのです。
歴史を創ってきたのは人であり、ある局面でその人が何を考えて如何に行動し、どういう結果になったかということを勉強すると、人間の知識量は勿論増えてはいるものの様々な思索・知恵の類あるいは思考力等において、何千年の昔と比べても殆ど変ってはいないことが分かるでしょう。
例えば、中国の歴史を紐解く中で治乱興亡の因果といったものを学んで行くと、全て歴史的事象には原因があるから結果がある、ということが明らかになってきます。逆説的に言えば、そうした原因を将来作らぬことによりそうした結果を招かない、ということになるのかもしれません。
大量破壊兵器が存する現代とそれ以前の戦争を比しても分かるように、同じ因で起こる禍(災い)に事の大小はあるかもしれませんが、戦争は如何にして始まり、国はどうしたら滅んで行くかという原因は基本的なところは同じです。
だから、歴史の中の因果の法則を見出して行くということが大切であって、我々は此の因果の法則に着目し、自身の将来の成り行きを判断して行くことが必要なのだと思います。
易とは人間世界の偉大な統計的研究ということが出来ると先週水曜日のブログでも述べましたが、此の易という言葉の意味に関して安岡正篤先生はその御著書『易経講座』(致知出版社)」の中で、『易とは「変わる」という字で(中略)変化を探るもの、創造変化、限りなきその実体を研究するものである。(中略)だから易(カワル)という文字を当嵌(あては)める。しかし易(か)わると意識することはその作用の中のどこかに、易わらざるものがあるからである。だから易は変化を表すと同時に変化の中にあるところの不変、因果の関係、その法則即ち数を表す。その意味では易は変易(へんえき)であると同時に不易(ふえき)を探るものである』と述べておられます。
此の社会を見れば、そこには変わるものと変わらないものがあり、また「変わるのは本体に変わらないものがあるから変わる」のであって、そうした不易の中にある一つの変わらないもの、先の例で言えば因果の法則に従い如何なる生成発展を遂げて行くかが重要であるわけです。
「善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)」と仏語にありますが、先ずは出来るだけ悪を為さずに善行を施すべきでしょう。七仏通戒の偈(しちぶつつうかいのげ…過去七仏が共通して受持したといわれる、釈迦の戒めの偈)の内2句「諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」にあるように、仏教において善行を施すことが非常に大事にされています。




 

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