北尾吉孝日記


『列子』に「大道は多岐(たき)なるを以って羊を亡(うしな)う…大きな道には分かれ道が多い。だから逃げた羊の姿を見失ってしまう」という言葉があります。また西洋の有名な諺にも、「二兎を追う者は一兎をも得ず…If you chase two rabbits, you will lose them both」というのがあります。
省く・捨てる・消すといったことがちゃんと出来ないと「多岐亡羊」となって本質を見失い、結局どこに向かい何をしているか分からないようになってしまい兼ねません。それ故、一定の期間内に何が本当に良いものかを取捨選択する必要が出てきます。経営においても之は大事なことです。
米GE(ゼネラル・エレクトリック)元会長のジャック・ウェルチ氏は、所謂「選択と集中」の重要性を世に広めた経営者です。彼が成功裡にそう出来たのは、それだけ広大かつ多様な事業を有し、同時に業界のNo.1やNo.2事業を創り上げてきたからこそであります。
そのウェルチ氏が先月1日、腎不全のため84歳で死去しました。彼が経営者として君臨していた20年の間、GEの「売上高は250億ドルから1250億ドルに、利益は16億ドルから150億ドルに(、中略)時価総額は4000%拡大」したとされ、彼は「20世紀最高の経営者」といった称賛を一身に浴びてきました。
しかしウェルチ後の20年はと言えば、01年の「米同時テロの影響で主力の航空機エンジン事業が失速。後任のジェフ・イメルト氏は多角化路線の修正を余儀なくされ」、08年の「金融危機で巨額の損失が発生。メディア事業や家電事業を売却し、ウェルチ氏が育てた金融事業からも撤退したが現在も負の影響を残す」といった有様です。
同じ文脈で、日産自動車前会長のカルロス・ゴーンという人が挙げられます。彼は99年よりコストカッターとしての辣腕を振るい、結果として瀕死の日産を2年で「V字回復」へと導き、4年で2兆円の借金完済を成し遂げて、一時的に世に大いに持て囃されました。しかしそれから15年半を経て訪れたゴーン後の日産に対し、在任中彼がやってきた事柄に多くの知識人は今如何なる評価を下しているのでしょうか。
私は、本当に称賛を受けるべきは、「我より古(いにしえ)を作(な)す」べく自分で何かを創り上げ、それが五十年百年と長期的に発展するような仕組みを創り上げた人だと思います。しかし上記2名のケースは正に、自分の代が終わったら終わり、の典型であったと言わざるを得ません。報じられるゴーン氏の公私混同ぶりは言うに及ばず、彼らはそれ程の称賛に値しないと思います。
複雑系の現実で何が正しいかは、時々刻々変化します。企業や事業を取り巻く環境は常に変化しますから、企業の永続は難しいことです。ウェルチ氏は生前、「自らの成功は後継者の実績によって評価されると語っていた」ようですが、イメルト氏以後現在に至るGEの惨状はその評価を極めて厳しいものとしていましょう。
一時代でも世の中が大きく変化する中で、会社を如何に進化させ続け、何百年もの間永続させ得るか、と私はSBIグループ創業当初から真剣に考えていました。私が出した答えは、「自己否定」・「自己変革」・「自己進化」のプロセスを続けるしかないということです。
それが経営理念の一つにも掲げている、「セルフエボリューションの継続」ということです。此のスピリットは私がトップの座を退いた後も、我がグループの最も大事な創業の精神として永続化せねばならないと思っています。そして社会の公器たるSBIグループは真に徳業を営む中で、永続企業(ゴーイングコンサーン)として発展を遂げて行かなければならないのです。




 

『時務を識る』

2020年4月8日 17:30

今般の緊急事態宣言に伴い昨日行われた記者会見で、安倍晋三首相は次の通り述べておられました――今、私たちが最も恐れるべきは、恐怖それ自体です。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で広がったデマによって、トイレットペーパーが店頭で品薄となったことは皆さんの記憶に新しいところだと思います。(中略)ただ恐怖に駆られ、拡散された誤った情報に基づいてパニックを起こしてしまう。そうなると、ウイルスそれ自体のリスクを超える甚大な被害を、私たちの経済、社会、そして生活にもたらしかねません。
此の「2月末から全国に広がったトイレットペーパーの買い占め騒動に関し、ツイッター上の投稿と商品の販売状況を分析すると、(中略)デマ投稿をそのまま目にした人はほぼいないのに、デマ否定の(善意の)投稿が爆発的に広がるという皮肉な状況が生まれ(中略)、デマ否定投稿の急増と同時にトイレ紙の品不足が進んだ様子がくっきり現れた」とも報じられています。
デロイトトーマツコンサルティングの試算に拠れば、スペイン風邪流行時(1918~1920年)の「情報伝達力…メディアの普及率と人口、1度に情報を送れる平均人数、1人が1日に受け取る情報量を掛け合わせて算出」を「1」とした場合、新型コロナウイルス流行時の現在SNSの普及等によりその149.9万倍にまで達しています(2002年SARS流行時2.2万倍/2009年新型インフルエンザ流行時17.1万倍)。
此の一種の情報洪水下、嘗てより遙かにフェイクニュースは伝搬し、人に誤解を持たせたり虚偽を真実と思わせたりするような事象が、非常に増えてしまいました。取り分けインターネットで取れる簡単な情報で、所謂フェイクニュースが平気で流れています。しかし、その発信源に対する責任追及は実効性がないものです。我々は今回の上記騒動も踏まえ、その信憑性に疑義ある情報につき親切心に基づく否定投稿だとしても拡散しない、ということが大事になると思います。
何れにしろ、誰しもが真面な情報を如何に峻別して行くかが課題となっており、その選択で大変苦慮している部分がありましょう。此の取捨選択がきちっと出来ない限りフェイクニュースに振り回され続けるわけで、やはり自分で主体的にものを考え情報の真偽を見抜いて行く選択眼を持たねばなりません。
そのためには、時代の動きを明察し、時局を洞察し、英知と実行力を伴った見識(すなわち胆識)を以て如何なる事変にも悠然として処して行ける人物を目指す努力をし続ける必要があります。『三国志』の中に「時務を識るは俊傑(しゅんけつ)に在り」という司馬徽(しばき)の言葉がありますが、その俊傑に自分がなるしかないのです。深い洞察力で時代の流れをしっかり摑(つか)み、その中で何をすべきかを知る英傑を目指すのです。




 

『人生を変える方法』

2020年4月2日 17:35

ダイヤモンド・オンラインに先々月5日、『社会人になってから「成長が止まる人」の特徴』と題された記事がありました。筆者のレオス・キャピタルワークス株式会社の代表取締役社長・最高投資責任者(CIO)、藤野英人さんは冒頭で次のように仰られています――人生を変える方法は、3つあると言われています。「環境を変える」「時間の使い方を変える」、そしてもう1つが、「付き合う人を変える」です。

此の事につき私なりの意見を申し上げると、先ず一つ目の環境というのは、自ら変えられるものと変えられないものがあります。厳密に言えば時間を経て変えることは出来るかもしれませんが、少なくとも短期間で変えられないものがあると思います。その一つが、自分が大人に成長する過程で置かれた環境です。
それは例えば、「どういう家庭で育つか」「どういう学校に進み、どういう人から学ぶか」「どういう友達を得、どういう先輩の知遇を得るか」、といったことであります。確かに、どれも非常に大きな影響を与えると思います。しかし、自分の人生を変えるぐらいの人というのは、単なる遊び仲間ではないはずです。
やはり、自分が心底「この人は尊敬できる。見習いたい、そういう人間になりたい」と思うような、正に「敬」の心を持てる素晴らしい人との巡り会いが、私は自分自身を変える上で、そしてまた、自分の人生を結果として変える上で最大の要素になると考えています。
自分より優れた人間を見た時その人を敬する心を持つのと同時に自分がその人間より劣っていることを恥ずる心を持つということ、此の「敬と恥」が人を変える一つの原動力になるのです。之については敬があるから恥があるというふうに言えるもので、人間誰しもが持っている一つの良心と言っても良いのかもしれません。
あるいは人との出会いだけでなく、それは書物との出会いでも同じことが言えます。時空を越えて古今東西の偉人達から書を通じ虚心坦懐に教えを乞うといったこともあるでしょう。それも広い意味では、環境と言えなくもありません。
自分を取り巻くあらゆる事柄は、自分を変える一つの要素になり得るのです。先哲より学んだ事柄を日常生活で日々知行合一的に練って行く中で初めて、人間は段々と変わって行けるものだと思います。

二つ目の時間というのは、貴賤貧富を問わず誰にとっても一日24時間、公平に与えられています。それ故、此の時間をどう使うかということが、その人の一生を決めて行きます。例えば、吉田松陰や坂本龍馬の如く非常に短命で早世する人もいますが、彼らは人生をある意味深く生き後世に名を残すことが出来た人達です。
では、彼らのように早世しても尚名を残し得た人物と、我々凡人とを比べた時に一体何が違うかと考えてみるに、私は志と覚悟が決定的に違っているのだと思っています。人間として生まれ、如何なることに志を立て自らの時間を使うか、ということを真剣に考えない人が最近は結構多いように感じます。
限られた時間を如何に有効活用するかとは、中国古典流に言えば惜陰(せきいん:時間を惜しむこと)という言葉があります。此の惜陰を頭に入れて、時間の進む速さとその使い方を考え続けている人は極めて少ないと思います。
我々が子供の時に習った、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)」や、「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」といった有名な漢詩においても、先哲は此の世の儚さを感慨すると共に、片一方で寸暇を惜しんでいるわけです。
人間というのは儚く何時死ぬか分からぬものであり、人生は二度ない、という真理を先ずは肝に銘じるのです。次にその中で、天が自分に与えた此の地上におけるミッション「天命」を見出し、その天命を果たし行く上で自分の人生の時間を如何に使って行けば良いかを真剣に考える、ということが此の上なく大事になると思います。
昨日の我がグループ入社式訓示でも、新入社員達に此の辺りの話を次のように述べておきました――天命を受けたら先ずは、此の世にこうして生まれたこと自体に感謝をし、元気でいられることに感謝をし、そしてそれが故に、後世への遺産を残すべく研鑽を積み重ねて貰いたい、というふうに思います。そして研鑽を積み重ねる上で大切なことは、時間ということです。
此の全編「2020年 SBIグループ入社式」はYouTubeで閲覧できます。14世紀のペスト及び昨今の新型コロナウイルスのパンデミックにも触れています。御興味のある方は是非そちらも御覧頂ければと思います。

最後に三つ目の付き合う人というのは、一つ目に論じた環境に強く関係しています。ただ上記記事で藤野さんが『人間関係において、お金や時間を「浪費しているな」と感じるのが、同世代や同じ会社での飲み会です』と述べておられるのは、確かにその側面はあるでしょう。
商人の町であった大阪・船場では、「年寄りは若い人、若い人は年寄りを友だちにしなさい」と昔から言われてきました。若者は年長者の経験から学び、年長者は若者の感性から学ぶのが大切だということです。
私自身も新入社員の採用を自ら行って、彼らを育てたい一心で隔週で課題を出しレポートを書いて貰うということをずっと続けています。そういう中で我々が教えるだけでなく、若者の感性から我々が学ぶことが出来ると考えています。
之は書き物を通してではありますが、私にとって大変貴重な時間であります。そうやって互いに学び合うことが大事なのではないでしょうか。そして、それはまた人生を変える一つの要素になるとも思われます。
『後漢書』の禰衡(でいこう)の伝記に次の故事があります――禰衡逸才(いつさい)有り、少(わか)くして孔融(こうゆう)と交わる。時に衡未だ二十に満たず、而(しこ)うして融は已(すで)に五十、忘年の交を為す…禰衡は人並みはずれた才能があった。年若くして孔融と交わった。その時、衡は20歳にならなかったが、融はもう50歳だった。二人は忘年の交わりを結んだ。
忘年会を「年忘(としわすれ)」として誤認している人が大多数でしょう。「忘年」の本当の意味は、「長幼の序を忘れる」「年齢を忘れる」ということです。世代を超えた友情を築くのが本来の姿なのです。「忘年の交わり」は正に、人生を変える一つの要素として非常に大事だと思います。




 


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